江戸時代後期の代表する浮世絵師といえば、葛飾北斎ですが、北斎の娘、『葛飾応為(かつしかおうい)』も浮世絵師で、『おんな北斎』と呼ばれていました。
「おうい」という名の由来は北斎が「おーい、おーい」と呼んでいたのでそのまま名前になったのだそうです。
三曲合奏図
ボストン美術館蔵。
町娘と芸者と遊女が、それぞれ楽器を持って演奏をしている絵です。実際にこの三者が一緒にいるというのは在り得ない構図なのです。この時代、遊女は「おはぐろどぶ」の囲いの中、大門を通らねば外には出られぬ身でしたから。それは、着物の図柄にも表現されているそうです。
蜘蛛の巣にかかった蝶々|酒日和、猫日和。 ーより引用
吉原夜景図
太田記念美術館蔵。
闇夜に浮かぶ提灯の明るさ。妖しさと煌びやかさが漂う遊郭。光と影の対比が何とも美しい。この作風から、江戸のレンブラントなどと称され、その才能が北斎以上ではないかと見直されはじめたとか。
夜桜美人図
メナード美術館蔵。
白く石灯籠の明かりが娘の顔や手元や桜を浮かび上がらせ、着物の朱を足元の雪見灯籠の小さな明かりが照らす。白い点描に加え、淡い藍や紅を一点二点と描き加え、夜空の星の明るさの等級の違いを表わすために、5種類くらいの描き分けが見られる。
唐獅子図
真ん中の獅子は北斎、周りの花は応為の合作。
北斎の門人、露木為一による『北斎仮宅写生図』
北斎は布団に入りながら絵を描いています。北斎と応為は片付けが出来なくて、部屋が散らかったら引っ越しを繰り返していたそうです。そのため北斎は生涯で90回以上引っ越しを経験しているとか。
応為は父の北斎を看取ったあと、家出をして消息不明となってしまいました。そのためか、現存する作品は10点あまりと少ないのだそうです。