完全な『パクリ』レポートを作成せよ!大阪市大の講義課題が話題

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「自分で独自に執筆した文章を一字一句たりとも交えてはならない」

こう制限された大阪市立大学文学部で、同大大学院文学研究科の増田聡准教授によって示されたレポート課題が話題となっています。

テーマ

「佐村河内事件に思う」という題名を付し、この題名に即した内容のレポートを作成せよ。その際、下記の執筆条件に厳密に従いつつ行うこと。(2000字程度とするが分量超過は構わない)

平成26年度大阪市立大学授業関係の連絡 ーより引用

執筆条件

以下の条件を満たさないと判断したレポートには単位を認定しないので留意のこと

  • 完全な「パクリ」レポートとして作成せよ。書物、新聞記事、インターネット上などに存在する任意の既存の文章を探し、組み合わせ、テーマ1の内容を過不足なく満たしたレポートを完成させること。その際、自分で独自に執筆した文章を一字一句たりとも交えてはならない。
  • 書物や新聞記事、インターネット上から、異なる出典を10カ所以上組み合わせること。出典が10カ所未満のレポートには単位を認めない。
  • 出典情報を厳密に記すこと。レポート内の文章のうちどこからどこまでが、どこからの出典であるかについて、レポートを読む者に一目瞭然のものとして理解でき、出典との相違がないか再検証できるように作成すること(その目的のために、どのような書式を用いたらよいかについては各自で調査・考案・工夫すること)。出典情報や出典の箇所が、不詳あるいは不明確なレポートには単位を認定しないので注意すること(この点については特に厳しく査定する)。
  • 出典から採られたオリジナルの文章を一字一句たりとも変更しないこと。句点や読点、誤字脱字に至るまで出典元と「まったく同じ」語の並びをレポートに用いること。
  • 当然のことながら、論旨や文章が支離滅裂なレポートには単位を認定しないので、上記の執筆条件に厳密に従った上でレポートの日本語文章としての全体的な完成度を高めるよう留意すること。

平成26年度大阪市立大学授業関係の連絡 ーより引用

課題の狙い

「パクリ必須」のレポートを課題にしたきっかけは。

2009年神戸大学での「表現の政治学」という講義で、著作権制度の社会史と思想史を当時のメディア環境の変化とあわせて論じる内容で、「メディアの変化が著作権制度の変化を生じさせた」「近年のインターネット環境の普及が著作権制度を揺るがしている」という議論をしているにも関わらず、レポート課題が旧来型の「紙とペンと資料」をベースにしたものであるのは居心地が悪い思いがあったのが直接のきっかけだそうです。

知識は元々「紙の本」という外部に存在するものでした、しかし「分からないことがあればググる」ことが日常化した昨今の学生にとっては、ネット環境とスマートフォンは、膨大なネット上の知識をある意味で自分の傍らに常に存在させています。

コピペレポートが大学教師の間で問題になり始めた2000年代の初頭、メディア環境の変容が生み出した「学生の必然的な対応」という側面もあろうかと思い、それを前時代のメディアモラルに則って禁止するよりも、逆手にとってみる方が生産的ではないか、という意図で始めたのだそうです。

引用元はどのようなメディアが多いのか。

インターネットからの引用が多く7割ほどを占めているそうです。残りの3割ほどは書物や雑誌、新聞なのだそうです。

新聞社やニュースサイトだけではなく個人のブログを参照していることも多いものの、TwitterなどのSNSはまだほとんどないとのこと。

「まとまった意見の中から一部を引用する」という先入観や発想が強いのかもしれないと増田聡准教授。

また、複数の大学で同じ形式のレポートを課すと、大学によって微妙に異なる傾向があるそうで、例えば京都大学では、自分が書きたいことを自由に書いて、辞書や辞典など適当な場所から1文字単位で引用元を記した徹底したレポートがあったそうです。

限られたルールを『逆手に取っていかに自由に遊ぶか』普通はこんな煩瑣な作業をやる気は続かないと思うのですが、「知性への挑戦」と受け取って取り組んだのでしょうか。

数年間続けてきた中での変化や発見は。

初期は、自分と似た意見を探してきて不格好に並べる体裁のレポートが多かった、ですが年々洗練され、続けて読むとひとつながりの論旨をもった完成度の高いレポートとなっているものが増えてきているのだそうです。

ネット検索のリテラシーが年々向上しているとともに、論文や書物のデジタル化、各大学の図書館データベースの充実など、検索できる学術的文章が増えていることも影響していると推測されています。

毎年計100人ほどのレポートを見ていて、同じ「パクリ」でも上手い下手は明確に出るのだそうです。

ネットで適切な文章を探してくる能力や適切に切り刻み配置する能力が高い学生は、主張する文章として完成度の高いレポートを作成し、一般にいう「文章力の高さ」とも相関しているようにも感じているそうです。

なぜなら「パクリ」でよいレポートを作成してくる学生は、感想文もこなれている傾向があり、教師としてもそのあたりが面白く「文章力とは何か」ということを考えさせられるのだそうです。

学生の反応から見る課題の成果は。

自分でオリジナルな文章を書かせるレポートよりも、「他人の文章を10カ所以上探す」課題は、論じる対象についての先行する議論を学生が真面目に読むという効果があったのだそうです。

「パクリレポート」と同時に、作成した感想も提出させていて「自分と違った意見がこれだけあることがわかった」という意見がほぼ必ず出てくるのだそうです。

自分が同意できる意見ばかりに囲まれた情報環境に閉じこもることが容易になり、他者の対立する意見を拒絶する傾向がある中で、好む好まざるに関わらず強制的に「他人の意見」を探させるのは、自分の意見のオリジナリティがどこにあるのか、をマッピングする効果を生んでいるように思います。

「文章を切り刻むことに罪悪感を覚えた」という言葉が散見されるのも興味深いです。まとまった意見を受け入れること、他人の意見を尊重してコミュニケーションすることが学校教育の中で当たり前のように前提とされていることを強く感じます。あえてルールを壊すことが知的冒険や新たな気付きになればと思います。

ですが、もう少し深く考えると、我々が使っている「言葉」自体が、他人が生み出したものを模倣しているわけです。全く他人に依存しない「自分独自の言語」を用いて意見を述べても理解されることはありません。では「オリジナルなもの」とは何か、1語1語が全て辞書に載っている既存の言葉を組み合わせてコミュニケーションを行っている「自分」はどのような形で「オリジナル」なのか――学生には、そういった次数の高い問いを考えてもらえれば、と思っています。

「完全な『パクリ』レポート」を作成せよ… ーより引用

自分の意見がオリジナルなのか模倣なのか?文章の一部だけを切り取ることで、前提条件や後述による内容補足の意味といったことをグローバルに捉えることを学ぶのに役だっているようですね。

まとめ

文学部で行われているようですが、この取組みは情報分野でも多いに意味があるのではないでしょうか?

同じ情報に対するコンテンツに対して、どんなベクトルでコンテンツが作られているかを見分ける力。情報をいかに合理的に収集し集約するか?そういった意味では文学部だけで行われているのは勿体無い気がします。

出典
平成26年度大阪市立大学授業関係の連絡
ITmedia ニュース