『危険社会』著者のウルリッヒ・ベックさんが1日に心臓発作で死去されました。70歳でした。
ベック氏はチェルノブイリ事故をもとに、リスクの産まれる社会的理論を考察し、著書『危険社会』にまとめました。この『危険社会』はリスクマネジメントにおけるリスクの考え方のもととなっています。
ベック氏の1986年の著書『危険社会』によると、社会は経済と科学技術が発展し近代化が進むにつれて、富を得ると共にリスクを生産するようになるとしています。
その過程において長らく社会は、物質的な困窮が課題となり、いかに富の生産を拡大し、公正に分配するかを重要なテーマとします。これをベック氏は「産業社会」と呼んでいます。
そして、富の生産が拡大し、物質的な困窮が縮減すると今度は、「産業社会」時に軽視されて残されそして、なおも産み出されていくリスクが飛躍的に顕著なものとなっていきます。こうして「富」よりも「リスク」の生産と分配を重視するようになった社会を「リスク社会」としています。
「リスク社会」では、この「リスク」を無視可能なものではなく、なんらかの対処の必要を迫るものだとしています。
ソフトウェア開発の分野でも、「リスク=アプリケーションの目的を阻害するバグ」といった端的に極端な考えから、「リスク=小さな動きの違いがアプリケーション自体だけではなく、販売会社や開発会社のイメージをも左右しかねない」とするグローバルに極端な考えへ90年代から2000年代に移行し、今ではアプリケーション設計段階でアプリケーションのメリットとともに産まれるリスクをどれだけ予知し、それをいかに回避するかを考慮して設計するかが重要視されるようになっています。
ソフトウェア開発の分野は、これまでシステムバグによる動作の異常を消し去る「デバッグ」が重要とされていた社会から、インターフェイスやアプリケーションの設計の時点での矛盾や誤動作までもを異常として、それがどんな事態を起こしうるのか予知し、どう回避または対処すべきかまでをも考慮する社会へ変わり、さらには開発段階へ入るまえに、その開発はどれだけ困難でバグや困難な開発を産むのかを起こしうるかを予測して開発プロセスにおける「リスク」までをも予測回避するような社会に直面しています。販売面ではやはり同じくそのアプリケーションが起こしうる現象や生活などの変化によって、どんなリスクが発生するのかを予測し対応を考慮する必要性が重要とされてきています。
このリスクの性質をベック氏は、小さな影響と思えるリスクでも、やがて拡大し大きなリスクとして戻ってくる「ブーメラン効果」があるとしています。まさに現代のアプリケーション設計で考慮される「小さなインターフェイス設計の違いが会社のイメージをも大きく左右する」に該当し、販売面で考慮する「販売戦略における小さなイメージの違いがその後のブランドイメージを大きく左右する」といった事に該当します。
ベック氏はこのブーメラン効果によるリスクを、大きなリスクへの対処としてしか、対処ができないとしています。戻ってきたリスクはどのような小さな原因から起こったかを見つける事は困難だからなのでしょう。
またリスクは知識の中で加工され、誇張されたり過小評価されることがあります。この限りにおいては社会が自由に定義づけることができるとしています。さらには隠蔽されることまであるとしています。
つまり、リスクを受けた対象者はそれをリスクだと決定づけるものさしを渡されない限り、リスクとは受け取りようがないということです。現代は知識過剰な世の中ですので、この「ものさし」は多く提供されるようになっています。多くのひとが「ものさし」を持つようになった世の中では隠蔽される「リスク」は減ってきたものの、それでも新規開拓された技術の中では常にあらたな「ものさし」をより速く必要とされるようになる事は間違いありません。
私たちメディアと、そしてその情報を共有し広めていくユーザーはこのような「ものさし」になるべく、より正確な情報を素早く見分ける目を持ち、情報に対する責任をより感じていかなければいけないのかもしれません。