初場所で33回めの優勝を果たし、優勝回数で昭和の大横綱『大鵬』を抜いて歴代最多となりました。
ちなみに他の歴代横綱優勝回数は、千代の富士31回、朝青龍25回、北の湖24回。この数字を見るとどれだけすごい偉業を成し遂げたのかがわかります。
白鵬の相撲人生
モンゴル相撲の横綱の息子として生まれた白鵬。角界入りするために15歳で来日。ですが、当時60キロ台と力士としては小柄だったために、相撲部屋からなかなか誘いの声があがりませんでした。
なんとか宮城野部屋に入門し、平成13年春場所に初土俵を踏みましたが、負け越しと苦いデビューとなりました。
ですが、その後、体が大きくなるにつれて急速に力をつけ、転生の体の柔らかさに力強さも加わって、めきめきと頭角を現し、早くから横綱候補として名前があがるように。
平成18年の春場所後には21歳の若さで大関昇進。初めての優勝を果たすと1年後には横綱に昇進しました。
その後は優勝を重ね、横綱昇進から7年半で33回めの優勝を果たし、歴代最多の優勝記録を更新しました。
偉業を支えた人物とは…?
白鵬の精神的な強さを支えてきたのは「角界の父」と呼ばれた元横綱『大鵬』納谷幸喜さんでした。白鵬は納谷さんが2年前に亡くなるまで多くのアドバイスをもらいました。
大鵬が持つ偉大な記録、これを塗り替えていいのかと悩んでいた白鵬に納谷さんは
『記録は抜いていいんだ』
ということばをもらいました。これを白鵬は心の支えとしてきました。
相撲界では稽古で胸を貸して育ててくれた先輩力士に本場所の土俵で勝つことが「恩返し」。優勝記録を抜くこともまた、白鵬から『大鵬』納谷さんへの恩返しなのです。これを見事成し遂げた白鵬。さらに記録をのばすためにさらに精進されているようです。がんばって白鵬!
- 出典
- NHK NEWS WEB