プロ野球中日で本塁打王、打点王の2冠を獲得した強打者、大豊泰昭(たいほう やすあき)さんが1月18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で死去されました。51歳。葬儀は近親者で行うとのことです。
大豊さんは台湾出身で名古屋商科大に留学。1年間の中日球団職員を経て、1989年にドラフト2位で中日に入団。 巨人と最終戦で優勝を争って敗れた94年には、38本塁打で本塁打王、107打点で打点王を獲得し、ベストナインにも選ばれました。
ナゴヤドームが開場した1997年のオフに、阪神へトレードされましたが、2001年から再び中日に復帰し、2002年に引退しました。引退後は台湾担当のスカウトや少年野球の普及活動に力を入れ、中華料理店の経営も手掛けました。
通算成績
- 出場試合数 : 1324試合(14年間)
- 安打数 : 4097打数1089安打
- 本塁打数 : 277本
- 打点 : 722打点
- 三振 : 1057
- 通算打率 : 2割6分6厘
タイトル
- 本塁打王 : 1回 (1994年)
- 打点王 : 1回 (1994年)
- ベストナイン : 1回 (1994年/一塁手)
王選手に憧れて来日
大豊さんが日本に来たのは王貞治選手を雑誌で見たことがきっかけでした。王選手のようになりたい一心で来日。中日の球団職員からプロ野球選手という変わった経歴でプロへの切符を掴み取りました。きっと言葉や文化の壁など様々な苦労があったに違いない大豊さんの半生を振り返った自伝が出版されているので、下記にご紹介いたします。
『大豊 王貞治に憧れて日本にやってきた裸足の台湾野球少年』
七起き八転び。何度起き上がっても、必ずその後につまずきが待っていた。台湾の貧しい農村から王貞治さんへの憧れだけで日本に来て、中日ドラゴンズへ入団した。この日本で最愛の妻と子どもにも恵まれた。一本足打法を身に付け二冠王を取った。阪神へトレードされ、中日に戻り現役を終えた。努力もした。体力にも恵まれていた。信念もあった。しかし、心の底から喜べる瞬間はわずかだった。
Amazon「BOOK」データベースより ーより引用
急性骨髄性白血病とは
あるテレビ番組で急性骨髄性白血病にかかった大豊さんの闘病ドキュメンタリーを放映していたの見たことがあります。奥様とともに力を振り絞って闘病する姿に勇気付けられたことを覚えています。ところで急性骨髄性白血病とはどのような病気なのか気になったので調べてみました。
急性骨髄性白血病は、造血幹細胞から好中球・好酸球・好塩基球、単球、赤血球、血小板を造る細胞に少し分化した細胞(図1の○で囲んだあたりの細胞)がいわゆる「がん化」して起こる病気です。急性骨髄性白血病の「骨髄性」とは、好中球・好酸球・好塩基球、単球、赤血球、血小板のすべてを示す言葉で(リンパ球は除きます)、骨髄という場所を指しているわけではありません。
一方、Bリンパ球やTリンパ球を造る細胞に少し分化した細胞ががん化すると、急性リンパ性白血病という病気が生じます。
がん化が起こるのは、骨髄系の若い細胞(図1の○で囲んだ細胞)の遺伝子に異常が生じるためですが、どうして遺伝子に異常が生じるかはよく分かっていません。
がんプロ.com ーより引用
急性骨髄性白血病の症状
胃癌が胃に発生するように、急性骨髄性白血病は骨髄の中で発生します(まれに骨髄以外から生じることもあります)。白血病の細胞が骨髄中で増えると、正常の造血幹細胞が減少するため、血液の3系統の細胞を造る機能(造血)が障害されます。急性骨髄性白血病の早期には、造血障害のために好中球、赤血球、血小板の減少が生じます。好中球が少なくなると感染症(肺炎などの細菌による病気)が起こりやすくなります。赤血球が少なくなると貧血の症状(動悸、息切れ、めまい)が、血小板が減ると出血(ひどくなると自然出血)が起こります。さらに白血病細胞が増えると、骨髄から白血病細胞が漏れ出て、全身の様々な臓器に入り込み、その臓器を障害します。また発熱や全身倦怠などの症状も現れることがあります。急性骨髄性白血病の3大死因は、感染症、出血、臓器障害(腫瘍そのものによる障害)と言われています。
がんプロ.com ーより引用
まだ原因が特定されていないのですね。もっと医学が進歩して、一日でも早く原因が解明されてほしいですね。
長女は宝塚歌劇団で活躍する「ひろ香 祐(ひろか ゆう)」
大豊さんの長女は2007年4月に95期生として宝塚音楽学校に入学。現在、宝塚歌劇団の星組に所属し、男役として活躍されています。愛称は「こりん」「ヒーロー」。
日本の野球界に大きな足跡を残された大豊さんのご冥福をお祈り申し上げるとともに、お嬢様が今後宝塚でさらに活躍されることを期待しましょう!大豊さん、あの豪快な一本足打法は忘れません!